飲み会のお開きのタイミング

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 新型コロナウイルスの感染症分類が5類になり、自分の周辺のピリピリとした雰囲気も本格的に緩んできたように感じる。そんな折、職場の人と飲み会をする機会があった。一緒に仕事をしている仲間なので、普段からコミュニケーションを取っている関係性なのだが、これまではコロナ禍もあり飲みに行ったのは4年目にして初のことであった。飲み会はめでたく盛況に終わったのであるが、ある疑問が残ったので今日はその考察をしてみたい。

まずは状況の整理から。
1次会は6人で居酒屋へ行った。終電の関係(地方は終電が早い!)と翌朝の用事のため2人がここで帰り、私を含めた4人で2次会へ。1時間くらいしたところで旦那から帰宅せよと連絡が来た女性が退出。
残ったのは課長と私と若手の3人。課長といっても歳は私と3つしか変わらないので距離は近く、若手は20代半ばである。結局3時間ほど飲んで歌って騒いで、久しぶりに午前様をやったのだが、翌日はその反動でほとんど無為に過ごした。優秀なアスリートやビジネスマンから過剰な飲酒が如何に忌避されているかがよく分かる。貴重な休日を「はかいこうせん」を撃った後のポケモンのような状態で過ごすのは、時間の無駄以外の何物でもない。もっとも、そんなことは私も百も承知なのだが、感情労働に従事している自分にとっては、ときにこのようなカタルシスも必要だと思っている。

 そこでようやく今日の本題である。読者のみなさまは飲み会の途中で頃合いを見て、そろそろお開きにしようと切り出した事があるだろうか。今考えても半ば恐ろしいのだが、自分にはそのような経験がほとんどないのである。
 自分にとって、飲み会におけるコマンドは

  • 全てのプログラムが完了するまで参加する(決められた時間まで、あるいは閉店で追い出される)
  • 1次会と2次会の切れ目などで帰る
  • 終電の制約などで会の途中で帰る

この3つしかない。今回も(おそらく)課長がそろそろ帰ろうかと切り出して散会となった訳であるが、よほど雰囲気が悪くなったり体調が悪くなったりしない限り、自分からお開きを提案することはなかったように思う。

 どうしてこんなにも主体性のないスタンスが身に付いたのかを考えてみたのだが、思い当たる節がいくつかあった。
 まず、飲み会のディレクター的なポジションになることが圧倒的に少ない、ということである。会社などの組織ではこれまで上に立つポジションに就いたことがないし、営業の仕事をしていたときも、職場の飲み会の散会権は平社員の自分にはなく、接待も先方が飲みたそうにしていれば次の会にお誘いすることはあるが、基本的には先方に行きつけの店があって、そこでお客さんが満足するまで飲んでじゃあ帰ろうや、となっていたため、途中で飲み会を切り上げるという思考を持つ必要がなかった。
 それでは、友人やサークル仲間との飲み会はどうかというと、ここでも徹底して受け身であった。先輩と飲みに行けば先輩に態度を委ね、同期と行けば誰かが適当に散会を宣言し、かくなる上は後輩と行ったときもお開きのタイミングは後輩がそろそろ帰りましょうと切り出した時であったと思われる。今考えると、最後の点については猛省するしかないのだが、そもそも私一人が先輩のポジションを明確にして、後輩を引き連れて飲み会をした記憶がほとんどない。あったとしても、既に先輩後輩という関係性よりも上位の関係性に移行した後の飲み会では、いつお開きを切り出すかなどは些末な事柄に過ぎない。とはいえ、この視点の欠如は、人生の後半に向けては問題となりうるかもしれない。楽しき会も程々で切り上げることで次回もその続きから楽しむことが出来るし、二日酔いで翌日を溶かさなくて済む。自分のことだけでなく全体最適にも心を配れてこそ、である。
 余談であるが、飲み会をお開きにするタイミングと同様、時間制限のない店で飲んでいて次の店に移動するタイミングも難しいと感じている。これは上手にやる人が何人か思い付くので、その人から学ぶとしよう。

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